大判例

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仙台地方裁判所 昭和45年(わ)74号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、宮城県塩釜市錦町一七番一八号有限会社早坂僑師商店代表取締役として、同所所在の工場建物を管理し、製造機械および製品の衛生管理を担当し、従業員一九名を指揮監督してさつまあげの製造販売等の業務に従事していたものであるが、かかる業務に従事する者は食品衛生法および同法施行細則に則り食品が病原微生物によつて汚染されないように防鼠設備が完備した製造工場において清潔で衛生的な方法により食品を製造すべきであるから、さつまあげを製造するに際し、鼠が侵入しないように工場建物を常に点検補修し、工場内の鼠を完全に発見駆除する等の措置をとり、もつて、さつまあげに病原微生物が附着するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、昭和四三年五月下旬頃から前記製造工場製品搬出用出入口シャッター扉下部コンクリート床外二ケ所に鼠が容易に侵入しうる隙間が生じていたのにこれを補修せずして鼠を同工場内に侵入させたのみならず、同工場内の鼠の駆除措置をなさずして同工場内にこれを棲息徘徊させたままさつまあげの製造を継続し、同年六月四日製造中のさつまあげに鼠の糞尿によるサルモネラ菌を附着媒介させ、これらさつまあげを同日から同月五日に亘り、岩手県盛岡市菜園一丁目一〇番二〇号丸一魚類株式会社に二、四〇〇枚、同県紫波郡紫波町北日詰字白旗一一〇番地日詰水産物商業協同組合に四八〇枚、同県北上市青柳町一丁目五番三八号北上水産株式会社に二、四〇〇〇枚、宮城県仙台市宮城野二丁目一二の三仙都魚類株式会社に七、二〇〇枚、同県栗原郡築館町字町屋敷八九番地有限会社丸大魚市場に七二〇枚、同県栗原郡栗駒町岩ケ崎字六日町二七番地株式会社岩ケ崎水産魚市場に四八〇枚をそれぞれ消費者に販売すべく引渡した過失により、これを購入して食用に供した別表記載(第一、二回公判で訂正された通り)の佐々木次男外三一〇名に対し、サルモネラ菌による食中毒症状を与え、よつて右佐々木次男外三名を死亡させ、佐々木トシ子外三〇六名に食中毒による発熱、下痢等の傷害を与えたものである。

というにある。

そこで、果して右公訴事実が認められるかどうかにつき按ずることとする。

一被告人に対する注意義務の存在

〈証拠〉によれば、被告人は、宮城県塩釜市錦町一七番一八号所在の有限会社早坂僑師商店代表取締役として、同所所在の工場その他製造機械等を管理し、従業員一九名を指揮監督して魚肉ねり製品の製造(さつまあげの製造専門)をしてきたことが認められるので、右の製造業者としての職務上から、また食品衛生法二〇条に基づく昭和二七年八月二〇日宮城県規則第五七号食品衛生法施行細則一九条別表第三、第一二、三のイの規定上からしても当然に、工場、倉庫等に昆虫や鼠が侵入することのないよう防虫、防鼠設備を施すことが義務づけられているのであつて、被告人に対し本件公訴事実記載のごとき業務上の注意義務が存することは明白であるといわなければならない。

二被告人方のさつまあげ工場設備およびその製造過程の概略

〈証拠〉によれば以下の各事実を認めることができる。

1工場設備

有限会社早坂僑師商店の工場は、前記場所に存し、東側は南北に通じる舗装道路に面し、同道路には側溝が設けられている。同工場は二階建で一階はさつまあげ製造場、材料置場、車庫、冷蔵庫、物置、事務室、休憩室があり、二階は製品包装所および包装材料置場がある。(その中間に中二階も存する。)一階製造所の床はコンクリートで、その中央部付近に深さ約二三センチメートル、幅約一九センチメートルの排水溝が東西に連なつて設けられ、東端において前記側溝に通じており、魚洗機、肉取機、晒機、脱水機、筋取機、練臼、形成機、油釜(生釜および仕上釜)、人参洗機、玉葱切機、第一次放冷機が備えつけられ、二階には第二次放冷機、選別台、包装台、包装機等が備えつけられている。

2さつまあげの製造過程

主原料である助宗鱈は工場一階東南に存する材料置場のコンクリート床に直接置かれ、魚洗機で洗つた後ベルトコンベアーで肉取機に送り骨をとり除き、ベルトコンベアーで晒機に送られ水を混ぜて晒し、脱水機により脱水し、ベルトコンベアーで筋取機(通称チョッパ)へ送り、同機で小骨、筋をとり除き、合成樹脂の容器(通称バケットあるいはバット)に入れられ練臼まで運ばれる。この間の所要時間は約二〇分である。一方副原料の人参、玉葱はみじん切りにされ、練臼で魚肉、澱粉、小麦粉、胡麻、グルコース、調味料、角氷とともに約四〇分練られた原材料はスコップによつてステンレス製の箱に入れられて形成機に運ばれ、さつまあげの原型が造られ(厚さ約一四ないし八ミリメートル、横約一〇センチメートル、縦約七センチメートル)、油釜で揚げられる。油釜は、低温の生釜(温度は摂氏一四〇ないし一五〇度)および高温の仕上釜(温度は摂氏一七〇ないし一八〇度)で約三分位油した後、上昇コンペアーで第一次放冷機に運ばれ、更に上昇コンベアーで二階に運ばれ、第二次放冷機に送り、合計一時間二〇分の放冷を行ない、選別台において不良品を選別し、一〇枚をひと重ねにして包装台に置き、木箱又はダンボール箱に詰め梱包機によつて包装する。なお選別台において選別が間似合わない場合にはトロ箱と称する木箱に一時さつまあげを入れ、後に手のすいた時その箱より出して包装を行なう。

3作業時間ならびに作業分担

その日のさつまあげの製造量により作業開始と終了の時間が多少異るが、通常の場合、女子工員の勤務時間は概ね午前八時より午後五時ころまでとなつており、男子従業員は午前五時ころより仕事の準備にかかり午前五時三〇分ころより作業につき、午前六時四〇分ころより油を始めて、午前八時より直ちに包装作業を開始しうるようにする。一階の作業は魚洗機係の宍戸享、伊藤栄三、練臼係の重泉清美、揚釜係の伊藤操(昭和四三年二月までは阿部善信であつたがそれ以後伊藤が引継ぐ)(以上いずれもいんあ者)で、この作業分担はいずれも固定し、他の作業分担については定期的に変更してゆく方法をとり、二階における選別包装の作業分担は一定している。

4さつまあげの包装梱包

製造されたさつまあげは、商品名が大印と印の二種類に分けられて販売されているが、その大部分は前者である。そのいずれの場合も木箱詰とダンボール詰があり、大印の場合、木箱詰は、一箱に五〇枚を入れ、その四箱を重ねてビニールテープで緊縛して一組とし、ダンボール詰の場合は、直径約六ミリメートルの穴一六個あるビニール製袋に二〇枚のさつまあげを入れ、内部ろうびきで底に直径約1.5センチメートルの穴一二個があり、表面に大印お好み揚と印刷したダンボール箱内に粉袋の紙を敷き、その中に一二袋(合計二四〇枚)を入れ、蓋をしてビニールテープで緊縛して梱包する。

三昭和四三年六月四日被告人方で製造されたさつまあげと本件被害者の食中毒との因果関係

1昭和四三年六月四日製造されたさつまあげの数量および出荷先とその数量について

〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

(一)  木箱 前記大印木箱三一六組(四箱一組、一組二〇〇枚)と印五組(同上)、合計三二一組分、六四、二〇〇枚分製造され、印五組は同日午後栃木県宇都宮市内に出荷され、大印分のうち一〇〇組は午前一一時ころに日本冷蔵株式会社塩釜支店に入庫されたが、同日中に岩手県水沢市へ五〇組、福島県都山市へ一〇組出荷され、翌六月五日に残り四〇組も出荷されたが出荷先は不明であり、二一六組は六月四日午後四時から五時ころまでの間仙塩水産加工業協同組合事務所製氷冷凍庫に入庫された。以上の木箱分については本件の起訴の対象外で、右木箱分のさつまあげからサルモネラ菌が発見されたり、食中毒が発生したとする証拠は存しない。

(二)  ダンボール箱 六月四日製造分は七九箱(一箱二四〇枚、合計一八、九六〇枚)で、別表(一)記載のとおりそのうち三箱は同日午後二時ころに出荷され東北日通株式会社の自動車で白石市に運送され、三二箱は午後三時ころ出荷され、東北菱倉運輸株式会社の自動車で同日午後八時ころ、宮城県古川市所在の古川魚市場に五箱(一二〇〇枚)午後九時ころ同県栗原郡築館町字町屋敷八九番地所在の有限会社丸大魚市場に三箱(七二〇枚)、午後一〇時二〇分ころ同郡栗駒町岩ケ崎字六日町二七番地所在株式会社岩ケ崎魚市場に二箱(四八〇枚)、六月五日午前零時三〇分ころ、岩手県北上市青柳町一丁目五番三八号所在北上水産株式会社に一〇箱(二、四〇〇枚)、同日午前一時ころ、同県紫波郡紫波町北日詰字白旗一一〇番地所在日詰水産物商業協同組合に二箱(四八〇枚)、同日午前一時二〇分ころ同県盛岡市菜園一丁目一〇番二〇号所在丸一魚類株式会社に一〇箱(二、四〇〇枚)をそれぞれ運送した。一四箱については六月四日午後四時ころ出荷され、第一貨物自動車株式会社塩釜支店の自動車で、同日午後一一時三〇分ころより翌五日午前二時ころまでの間に、山形県山形市に五箱、同県米沢市に三箱、同県南陽市赤湯、同県寒河江市、福島県須賀川市にそれぞれ二箱を運送し、残り三〇箱(七、二〇〇枚)は、六月四日は被告人方の冷蔵庫に保管され、翌五日午前六時ころ千葉運送店の自動車で仙台市宮城野二丁目一二の三所在の仙都魚類株式会社に運送された。右白石市、古川市、山形市、米沢市、南陽市、寒河江市、須賀川市に運送された分については本件起訴の対象外であり、かつその分のさつまあげよりサルモネラ菌が発見され、食中毒が発生したとする証拠は存しない。従つて本件の対象となるのは、右築館、岩ケ崎、北上市、日詰、盛岡市、仙台市分合計五七箱(一三、六八〇枚)分である。

(三)  はね物について 六月四日被告人方で製造されたが、不良品として商品価値の劣つたもの(はね物と称する。)をビニール袋一〇枚入り二五袋(合計二五〇枚)を六月五日に安藤武志方に出荷した。

以上(一)ないし(三)の合計八三、四一〇枚が、被告人方で六月四日に製造されたさつまあげの総数量である。

2食中毒の発生と被告人方で製造したさつまあげとの因果関係

〈証拠〉によれば以下の事実を認めることができる。

(一) 起訴状別表記載の各被害者が、概ね同別表記載の日時ころ、食中毒に罹り、佐々木次男(当時一四年)が昭和四三年六月九日、川村栄子(当時三四年)が同月七日、石川喜代志(当時五一年)が同月一〇日、石川ツサト(当時一三年)が同月八日それぞれ死亡した外、三〇七名が概ね別表記載の治療日数を要する腹痛、下痢、嘔吐、発熱等の傷害を受けたことは明白である。そこで右食中毒の原因については、起訴状の別表記載の各被害者に対し医師又は保健所において検便を行なつてサルモネラ・エンテルティーディス(Salmonella Entertidis)菌(以下単にサルモネラ菌という)が検出され、あるいは検出されなかつた者、または検便を行なわなかつた者があるが、菌が検出された者については、いずれも被告人方で製造されたさつまあげを摂取しており、他に共通の食中毒の原因となるような食物を摂取していないことから、被告人方で製造されたさつまあげにサルモネラ菌が付着しており、その菌によつて食中毒が発生したと認められる。他方菌が検出された者以外の被害者については、果して食中毒の原因がサルモネラ菌によるものであるかどうかにつき疑問がないでもないが、右各被害者は、いずれも菌の検出された者と同じ被告人方製造のさつまあげを摂取するか、同一機会に一括して購入した被告人方製造のさつまあげを同一機会に摂取しており、他に共通の食中毒の原因となるような食物は摂取しておらず、その症状(激しい腹痛、下痢、嘔吐、発熱)も共通しており、菌が検出されなかつたのは、抗生物質等の投与のためサルモネラ菌が死滅してしまつた結果によるものと認めるのが相当であり、これら被害者の食中毒も前同様被告人方で製造されたさつまあげにサルモネラ菌が付着しており、そのさつまあげを摂取したことによるものと推認するに難くない。

以上のごとく被告人方で製造されたさつまあげにサルモネラ菌が付着していたことは認めうるが、本件は昭和四三年六月四日製造にかかるさつまあげにサルモネラ菌が付着していたかどうか問題としているので、次に果して右被害者が摂取したサルモネラ菌の付着したさつまあげは、被告人方で昭和四三年六月四日に製造されたものであるかどうかにつき検討する。

(二)  昭和四三年六月四日製造のさつまあげと食中毒との関係

(1) 食中毒を生じたさつまあげの数量

(イ) 盛岡丸一魚類株式会社仕入分――別表(一)記載のとおり、この分は米沢治郎吉あるいは中村藤一を通し、直接あるいは小売、行商を経て被害者に販売された。前者については、文化服装学院へ直接販売された六三枚、高橋藤助に販売された二袋(四〇枚)中一〇枚、武田カツに販売された一〇枚中七枚、村木勇之助に販売された三袋(六〇枚)中四枚、服部末吉に販売された四袋(八〇枚)中二二枚、中村民五郎に販売された二袋(四〇枚)中二六枚、矢羽々ミイに販売された一袋(二〇枚)全部、後者については、佐々木義郎に販売された三袋(六〇枚)中四〇枚よりそれぞれ食中毒が発生し、その枚数は合計一九二枚である。

(ロ) 日詰水産物商業協同組合仕入分――同表記載のとおり、同組合より吉崎啓三に販売された一袋(二〇枚)中五枚から食中毒が発生した。

(ハ) 北上水産株式会社仕入分――同表記載のとおり、広沼ノリに販売された四袋(八〇枚)中約三一枚から、北上水産藤根直売所高橋参次郎に販売された八袋中二袋は高橋重次郎を通し、斎藤節子に一袋(二〇枚)販売し、そのうち四枚から、高橋重次郎より直接販売された一袋(二〇枚)全部から、高橋参次郎より直接販売された残り六袋(一二〇枚)中五〇枚から、阿部文二に販売された二四袋中一二袋が、昆野正夫に販売され、その中三五枚からそれぞれ食中毒が発生し、その合計は約一四〇枚である。

(ニ) 仙都魚類株式会社仕入分――同表記載のとおり、大和水産株式会社に販売された一二〇袋中一二袋は伊藤允丈に販売され、更にそのうち二袋(四〇枚)が高橋礼三に販売され、その中一八枚から、沢口豊治に販売された一〇袋(二〇〇枚)中二〇枚から、大友系治に販売された四袋(八〇枚)中一〇枚から、菅原照夫に販売された二四袋中三袋(六〇枚)は石田庄松に販売され、その中五枚から、株式会社大新に販売された六〇袋中二袋(四〇枚)は今野ふでよに、八袋(一六〇枚)は高橋源六にそれぞれ販売され、前者中一〇枚から、後者中五枚から、みつわ水産株式会社に販売された七二袋中三袋(六〇枚)は瀬戸弘に販売され、その中二枚から、それぞれ食中毒が発生し、その合計は七〇枚である。

(ホ) 有限会社丸大魚市場仕入分――同表記載のとおり、田代安美および田代洋子に販売された二袋(四〇枚)中一四枚から、斎藤喜三郎に販売された三袋(六〇枚)中五枚からそれぞれ食中毒が発生し、その合計は一九枚である。

(ヘ) 株式会社岩ケ崎水産魚市場仕入分――同表記載のとおり、石渡優に販売された三袋(六〇枚)中二五枚から食中毒が発生した。

以上のごとく、前記五七箱(六八四袋)中食中毒が発生し、本件被害者を出したさつまあげの枚数は右(イ)ないし(ヘ)の合計四五一枚分のみである。

(2) 被害者の摂取したさつまあげは、被告人方で昭和四三年六月四日製造分かにつき

本件被害者を出したさつまあげの数量は右のごとく四五一枚分のみであり、このさつまあげが検察官の主張するごとく六月四日製造のものであるかどうかにつき判断する。(別表(二)参照)

(イ) 北上水産株式会社、有限会社丸大魚市場、株式会社岩ケ崎水産魚市場仕入分については、いずれも六月五日に売却されたが、右魚市場では、同日早朝か前日夜遅く入荷し、これを朝販売するので、六月五日販売分はいずれも六月四日製造分のみである。又、仙都魚類株式会社で六月五日に販売した被告人方製造のさつまあげ二七箱は六月四日に製造した分のみしかなく、従つて同会社より菅原照夫を通じ石田庄松へ販売された分および株式会社大新を通じ高橋源六へ販売された分はいずれも六月四日製造分を販売したことは明白である。以上の販売されたさつまあげが最終段階において摂取された枚数は合計一九四枚であるところ、これを摂取した結果食中毒の被害を受けた者は、起訴状別表九ないし一一(九〇名)、一三(一三名)、一五の5ないし7(三名)、一七(二名)二〇ないし二二(二六名)の合計一三四名であり、これらの者についてはサルモネラ菌の付着した六月四日製造のさつまあげ摂取と食中毒との直接の因果関係を肯定しうるのである。

(ロ) 丸一魚類株式会社仕入分――同市場に六月四日製造分のさつまあげが搬入されたのは六月五日午前一時二〇分ころであり、同日早朝に販売に付される。六月四日製造分は六月五日に一二〇袋仕入れられたが、前日六月四日仕入分で売れ残りのさつまあげが七二袋あり、その合計一九二袋が販売に付され、そのうち一二〇袋が売却され、七二袋が売れ残り、翌六月六日は仕入は無く前日売れ残つた七二袋中四八袋を販売し、二四袋が売れ残り、六月七日は売れ残り品二四袋と、同日仕入の六〇袋合計八四袋が販売に付され、そのうち四八袋売却され、三六袋売れ残り、六月八日は上記三六袋と当日仕入分九六袋合計一三二袋全部が売却されている。同株式会社においてさつまあげが売れ残つた場合、翌日、新しく仕入れたさつまあげの箱の上に重ねてこれを優先的に売るように努めている。このことが必ず守られているのであれば、六月五日に販売した一二〇袋中前日の売れ残り七二袋は優先的に販売され、六月六日に売却された四八袋、同日売れ残つた二四袋はいずれも六月四日製造分ということになり、六月七日販売分四八袋中二四袋は六月四日製造分ということになる。従つて六月六日販売分については一〇〇パーセント、六月七日販売分について五〇パーセントが六月四日製造分で、六月八日には六月四日製造分が販売される可能性は零ということになる。右を前提として考えるに、丸一魚類から米沢治郎吉商店に六月六日に三六袋、六月七日に二四袋、六月八日に二四袋販売され、六月六日同商店仕入分は同日文化服装学院、中村民五郎、武田カツ、村木勇之助に販売されており、六月四日製造分が売却されたものと判断しうるのである。高橋藤助、矢羽々ミイは米沢治郎吉商店が六月七日に魚市場より仕入れた分を買い受けているが、その中に六月四日製造分が含まれる可能性は前記のごとく五〇パーセントの確率である。服部末吉は、いずれも米沢治郎吉商店より六月七日、八日の二日間それぞれ二袋ずつ仕入れているが、六月七日販売分に六月四日製造分が含まれる可能性は前記のとおり五〇パーセントであり、六月八日分については可能性は零であり、可能性があるのは六月七日分のみであり、同日仕入分は同日に二六枚販売し、四枚より食中毒が発生したが、売れ残り一四枚は翌六月八日仕入分四〇枚とともに販売に付し、うち二五枚が販売され、その中一八枚から食中毒が発生したというのであり、六月七日販売分は格別、六月八日販売分については六月四日製造分より食中毒が発生したかどうかを判定する決め手は存しない。又中村藤一方にも六月六日魚市場で売り出したさつまあげのうち六袋が納入され、佐々木義郎を通じて販売したさつまあげはいずれも六月四日製造分のものであるということがいえる。

しかしながら、丸一魚類株式会社では原則として前日残つたさつまあげを翌日優先的に売却するようにしているとしても、朝の販売の混雑する際には、前日仕入分と当日仕入分とを混同してしまつて、必ず前日仕入品より売却するとは限らないことも事実であつて、果して同会社より販売され、起訴状別表一ないし七、九、一二に記載された被害者が摂取したさつまあげは六月四日製造分であるかどうかについては確実とはいい難く疑問をさしはさむ余地がないではない。

(ハ) 日詰水産物商業協同組合仕入分――同組合において六月四日製造分が仕入れ販売されるのは六月五日であり、同日仕入分は二四袋、前日仕入分一四袋と合計三八袋が販売に付され、そのうち三袋が現に販売された。押収してある配給表(昭和四八年押第四七号の一二)によれば、六月五日吉崎啓三に販売された一袋は同組合六月四日仕入分より販売されたごとく記載されており、また前日仕入分は原則として翌日優先的に販売するようにしているので、その点を前提とすれば、いずれも六月五日に吉崎啓三に販売した分には六月四日製造分ではないことになるのであるが、しかし原則や配給表は右のごとくであつても実際売却される場合には右原則や配給表のごとくゆかないことがあることも事実であり、六月四日製造分が含まれている可能性も絶無ではなく、これらの点を考慮すれば起訴状別表八の各被害者の摂取したさつまあげが果して六月四日製造分であるかどうかについては疑問の余地がある。

(ニ) 仙都魚類株式会社仕入分――同会社においては六月四日製造のさつまあげは六月五日に仕入れ販売されるところ、六月五日は三〇箱を仕入れ、そのうち前記の如く二七箱を売却したが、前日仕入分は残存していないため、これはいずれも六月四日製造分である。六月五日は大和水産株式会社に一〇箱(一二〇袋)、株式会社大新に五箱(六〇袋)、みつわ水産株式会社に六箱(七二袋)販売されている。まず大和水産株式会社においては六月五日は前日仕入分一二袋と当日仕入分一二〇袋が販売に付され一一四袋が売却され(伝票違い又は紛失六袋分を含む)、一八袋が売れ残り、六月六日はその一八袋と当日仕入分一二〇袋中八七袋売却され(伝票違い又は紛失九袋分を含む)五一袋が売れ残り、六月七日はその五一袋と当日仕入分六〇袋中九九袋(伝票違い又は紛失二袋分を含む)売却されているが、六月五日は大友系治に四袋、沢口豊治に一〇袋販売されており、その合計は一四袋であり、同会社の六月五日販売分のうち前日仕入分は一二袋であるので、確率的にみて、いずれかの分には必ず六月四日製造、六月五日販売分が含まれていることになるが、そのいずれに含まれるか、双方に含まれるかを決める決め手は存せず、六月七日は伊藤允丈に一二袋販売されているが、同社では前日仕入分は翌日優先的に売却することを原則としており、この原則を貫く限り、六月五日仕入分は同日一八袋売れ残り、翌六月六日に優先的に売却されて六月七日には残存していないことになるとすると、この分についての因果関係はきわめて疑問となるが、他方必ずしも右原則通りに行かぬことのありうることも前記のとおりで、六月七日販売分に六月四日製造分が含まれる可能性も絶無ではないのであつて、いずれにしても、伊藤允丈に販売されたさつまあげが六月四日製造分であるかどうかについては疑わしい。

次に株式会社大新より六月七日に今野ふでよに二袋販売されたが、同会社六月五日仕入分(六月四日製造分)は六〇袋で、前日仕入分は零で、当日三一袋売却され、二九袋売れ残り、六月六日その二九袋中より一九袋売却され(同日仕入分零)、一〇袋が売れ残り、六月七日その一〇袋と同日仕入分二四袋計三四袋全部を売却しているのであり、今野ふでよ方に販売された二袋中に六月四日製造分が含まれる確率は低い。この点につき同会社の売上帳の記載によれば六月六日売れ残つた一〇袋中より今野ふでよに販売したようになつているが、必ずしも右記載のごとく販売されているとは限らないのであつて、いずれにしても二袋が六月四日製造分であるかどうかについては疑問の存するところである。

次にみつわ水産株式会社より六月六日に瀬戸弘に三袋販売されたさつまあげが六月四日製造分であるか否かにつき、同社は、六月四日製造分は六月五日に七二袋仕入れ、同日は前日仕入分四二袋と合計一一四袋が販売に付され、六四袋売却され、五〇袋売れ残り、六月六日はその五〇袋と当日仕入一〇八袋合計一五八袋を販売に付し、三五袋売却したのであり、同社においても前日仕入分は翌日優先的に販売することを原則としており、右原則どおり販売されるとするならば、六月五日に売れ残つたさつまあげ五〇袋は六月四日製造分であることになり、六月六日売却分もこの五〇袋より売却されていることになる。しかし実際は右原則どおりに行かないこともあり、瀬戸弘に売却された分が六月四日製造分であるかどうかについては疑問の存するところである。

以上のごとく仙都魚類株式会社仕入分中、起訴状別表一四、一五の1ないし4、一六、一八、一九記載の各被害者が摂取したさつまあげが六月四日製造分であるかどうかについては前記のごとく疑いが存するところである。

右のごとく被告人方六月四日製造のさつまあげと本件食中毒発生との間の因果関係については、一部については確実に証明しうるのであるが、他の一部については前記のように疑う余地があり必ずしも証明しうるものではない。しかしながら、これについても完全に因果関係が否定されたわけではなく、他に原因関係等有力な事実が肯定されるならば、その事実と相俟つて総合的に考察し、これを肯認し得られるので、さらに右さつまあげにサルモネラ菌が付着した原因につき考察を進めることとする。

四検察官の主張する六月四日製造のさつまあげにサルモネラ菌が付着した原因、経路について

検察官の主張は、被告人は工場内にサルモネラ菌を身体に保有した鼠を徘徊、棲息させて、昭和四三年六月四日の正午より午後一時までの間に油後コンベアーや第一次第二次放冷機上に存したさつまあげに鼠が糞尿を撤き散らし、それによつて多数のさつまあげが、直接汚染され、又は汚染された機械の上を通ることにより、あるいは選別に際し従業員の手指より間接的に汚染され、本件食中毒が発生した旨主張するのであり、このことが認めうるかどうか検討する。

1鼠が工場内に侵入しうる可能性、同工場内での徘徊棲息、鼠の徘徊しうる時間帯につき

〈証拠〉によれば以下の事実を認めることができる。(なお、以下述べる事実に反する被告人ならびに奥田博の当公判廷における各供述をのぞく。)

(一)  鼠が工場内に侵入しうる個所

被告人方工場内一階中央部付近に存する排水溝は、その東側の部分で道路沿いの側溝に接するが、その接続部分には以前金網を張つていたが、本件事件発生当時(昭和四三年六月当時)は、周囲に隙間が生じたり破損したりして穴ができ、小動物の往来は可能であつた。又昭和四三年五月末ころ工場の製品搬出口(車庫)のシャッターの下部付近コンクリート床に長さ六五センチメートル、高さ最高約五センチメートルの穴が生じていたところ、被告人方では同年六月一〇日ころさつまあげの製造を休止するためその時に本格的に修理すべく、応急措置として作業終了後に砂利等を詰めていたが、作業中は車の出入りのため、その砂利がえぐりとられてしまい隙間が生じている状態であり、同年六月四日当時も右のごとき状態にあつた。又同工場内東南に存する原料搬入口は上部をシャッター扉として下部に板戸をとりつけていたが、前同様五月末ころその板戸の下部が東端より長さ約四〇センチメートル、高さ最高約六センチメートルにわたつて破損して隙間が生じ、同年六月四日当時も何ら応急措置もせずそのままの状態であつた。

(二)  鼠の徘徊棲息について

被告人方工場では防鼠用の薬剤を投与したり、鼠取器を二、三個とりつけ、鼠がかかつたことも何度かあつたが、本件事件発生当時はかからなくなつていた。又昭和四二年一二月一二日塩釜保健所員が一斉監視を行なつた際、被告人方工場内二ケ所において鼠の糞を発見しており、又本件事件発生前、何名かの従業員は鼠の糞を目撃している。本件事件発生後の昭和四三年六月八日より同月一〇日までの間、塩釜保健所員が立入検査をなした際、油釜の付近、第一次放冷機の両側に多数の鼠の糞を、中二階付近でその巣らしきものをそれぞれ発見し、六月一一日警察官が実況見分をした際、工場内倉庫、一階西側ベルトコンベアー下付近床上および二階南西隅の第二次放冷機付近床上にそれぞれ鼠の糞を発見し、同工場内に鼠二匹が徘徊していたのを現認し、同月一三日警察員が同工場に臨場した際、鼠一匹が徘徊しているのを現認し、同月一四日警察官が実況見分をなした際、工場内の一階倉庫内、冷蔵庫の上部、冷蔵庫南側付近で多数の古くなつた鼠の糞を発見し、二階放冷機下西南隅の魚箱に鼠が咬んだと思料される穴があり、その魚箱内で鼠が運んだと思料される腐敗したさつまあげ約三キログラムが発見され、同月一五日警察官が臨場した際鼠一匹が出現し、佐藤孝一の手により捕獲された。右のごとく検査し捕獲した鼠、鼠の糞、巣、放冷機に付着している油粕、右腐敗しているさつまあげの検査、第一次放冷機のコンベアー、二階のポリエチレン袋保管場所の床、選別台、包装台、魚洗機、肉取機、魚肉を入れる合成樹脂製バット、野菜を入れる金属性あるいは合成樹脂製の箱等の拭取り検査をそれぞれ塩釜保健所あるいは宮城県衛生研究所で行なつた結果、捕獲した鼠および合成樹脂製バット一個の内側よりサルモネラ菌が検出されたが、他の検体からは菌が検出されなかつた。

(三)  鼠の徘徊しうる時間帯

被告人方工場内は、午前五時ころより午後五時ころまで通常作業を行なうのであり、その間昼休み一時間を除き絶えず工場内に人が存する。一方、同工場の昼休みは、正午より午後一時までであり、その間第一次放冷機に取付けられている三基の、第二次放冷機に取付けられている四基の扇風機を除いて、すべての機械の作動を止め、晒機、バット、金属性製缶、練臼には原材料が入つたまま蓋をすすることもなく放置し、油されたさつま揚もベルトコンベアー、放冷機上に蓋もない状態で放置され、同工場内より従業員は全く居なくなり無人状態となるのである。

(四)  放冷機について

第一放冷機は、長さ約5.2メートルの金網コンベアーが約二〇センチメートル間隔で一一段設けられ、その高さは約2.9メートルで最下段のコンベアーはコンクリート床面から約四三センチメートルの高さであり、右放冷機最下段から二階の第二次放冷機に通ずる金網コンベアーの最下部位置は一階コンクリート床より約二〇センチメートルの高さであり、第二次放冷機は長さ約6.3メートルの金網コンベアーが六段重ねられ、その高さは二階床面より約3.6メートル、最下部は床面より二メートルの高さである。

(五)  以上のごとく被告人方工場内には、昭和四三年六月四日当時、前記のごとき隙間が三ケ所存し、そのいずれも鼠の侵入が可能なものであり、かつ右当時以前にも鼠取りに鼠がかかり、その糞も現認されているところであり、事件発生後に至つても鼠は出没し、相当古いと思われる糞も存し、昭和四三年六月四日当時も鼠が同工場内を徘徊していたと推認されうるところである。鼠が従業員のいなくなつた夜に徘徊するであろうことは容易に推測しうるところ、昼休み時間に徘徊しうるかについては若干疑問がないわけではない。鼠はもともと夜行性の動物であり、音や風に対し敏感であるが、昼休み時は人は居なくなるものの放冷機に取付けられている扇風機は動いており、又放冷機、コンベアー上に鼠が登ることができうるかという点である。しかし、証人湯山洋介の当裁判所に対する尋問調書によれば、鼠は突然に発する音声には敏感であるが、常時発する音声には順応しやすく、又風を嫌うが、餌が傍にある場合には風があつても徘徊すると思料され、又もともと鼠は夜行性であるが、人間の生活環境に順応しやすく、昼間に餌をとれる時間帯が続けば、その時間帯に徘徊するようになる習性があり、くま鼠であろうとどぶ鼠であろうと、第一次放冷機の最下段の高さ約四三センチメートル位であれば十分飛上ることが可能であることが認められるのであり、昼休み時間放冷機およびベルトコンベアー上を鼠が徘徊しうる可能性は高い。また前記のごとく工場二階より鼠の運んだと思料されるさつまあげ三キログラムが発見されたが、さつまあげは夜は一切冷蔵庫内に入れられて鼠の餌となることは不可能であるため、右事実は、昼休み時間内に鼠が工場内を徘徊している可能性を更に高めるものである。前掲証人尋問調書によれば、鼠は行動したり、餌を食べながら糞尿をする習性があることが認められ、昼休み時間内に鼠がさつまあげを食べながらあるいはその上を走りながら糞尿することは十分推測しうるところである。又前記のごとく、工場内より捕獲した鼠、および魚肉バット内よりサルモネラ菌が検出された事実より、同工場内に徘徊した鼠の身体にサルモネラ菌を保有していたのではないかと推認しうるところであり、この点に関する検察官の主張は一応理由のあるものと認められる。

2さつまあげの汚染経路について

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  被告人方工場の作業は午前五時ころより開始され、午前八時ころより包装作業に着手しうるようにさつまあげの油を開始するのであるが、油後選別台まで約一時間二〇分の放冷時間を要するため、午前八時ころ包装作業に取りかかるには少くとも午前六時四〇分ころより油を開始することとなる。形成機の処理能力(すなわち油処理能力)は、必ずしも明らかではないが、一日の製造数量、作業時間および包装処理能力等も考え併せると、一分間に約一九〇枚ないし二〇〇枚(一時間に約一一、四〇〇枚ないし一二、〇〇〇枚)であると認めるのが相当である。同工場内の包装作業は通常、午前八時ころより開始され、午前中に木箱詰めを行ない、午後ダンボール詰めを行なう行程になつており、包装処理能力は木箱詰めが一時間に約六〇組(二四〇箱、一二、〇〇枚)ダンボール詰めが一時間に約四〇箱(九、六〇〇枚)であり、昭和四三年六月四日は、午前中は木箱詰めがなされ、午後一時より二時ころまでの間木箱を約六〇組包装し、午後二時ころよりダンボール詰め作業に移つた。〔なお、検察官は木箱包装能力は油処理能力を上廻ることはなく、油処理能力を一分間一九〇枚として、これと同じ数の一時間当り木箱五七組(一一、四〇〇枚)である旨主張する。確かに包装能力が油処理能力を上廻ることは不合理であると思われるが、そもそも油能力が一分間に約一九〇枚の割合であると算出したのは、鑑定人廣田望が昭和四三年七月八日に被告人方工場において鑑定した際三〇秒間当り九五枚の製造能力があると測定したのを根拠に算出されたものであつて(同人の司法警察員に対する昭和四五年一月一三日付供述調書)、本件当日の製造能力についてはそれを明確にしうる証拠もなく、又三〇秒間での測定の場合、丁度三〇秒で九五枚製造されるならば格別、通常は時間的又は個数的端数が生じるのであり、そこから誤差の生じる余地が出、長時間にわたつた場合は、かなりの誤差となつて表われる可能性があり、一分間に約一九〇枚という数値は前後の誤差を含むものであつて、正確とはいい難いところである。従つて右一分間に一九〇枚という製造能力を根拠とする検察官の主張は絶対性をもつものではない。更に本件において、昭和四三年六月四日は、前記のごとく、木箱三二一組を製造し、その包装は、同日午前八時ころから開始され、昼休み一時間を除き午後二時ころ終了していることを前提にして考えれば、単純平均で一時間当り六四組を包装することになり、検察官が主張する五七組では処理しきれないことになり、その不合理さは一層大となる。前掲各証拠によれば、そのいずれも一時間当りの包装個数を約六〇組であるとしており、計数上はそれ以上の割合で処理しなければならない場合も存するのであつて、一時間当り約六〇組の方がより現実の取扱いに合致するというべきである。検察官は、又、六月四日午後二時ころにダンボール箱三組が白石市に出荷されていることから、同日午後一時よりの作業は木箱詰、ダンボール詰、木箱詰の順に行なわれた旨主張し、又証人高橋とみは当公判廷において右のような順序で行なうこともある旨供述するが、その供述自体あいまいであり、又、ダンボール箱三組の出荷時刻も午後二時丁度という訳ではなく、同時刻ころというにすぎず、又ダンボール箱三組の包装は数分しかかからず、木箱詰終了後に行なつても出荷に支障なく、木箱詰の途中にダンボール詰めを行なわなければならないような状況になく、その主張は容易に採用しえない。〕

(二)  昭和四三年六月四日の製造量は前記のごとく木箱三二一組(六四、二〇〇枚)、ダンボール箱七九箱(一八、九六〇枚)であり、同日、日本冷蔵株式会社塩釜支店にいずれも木箱一〇〇組、仙塩水産加工業協同組合事務所製氷冷凍庫に二一六組各入庫され、後者のうち一部は出庫されて販売されたが、これより食中毒が発生したとする証拠はなく、後者の残つた分は売却されず保管されており、同月一〇日塩釜保健所員が右仙塩水産に保管中の被告人方製造のさつまあげの中より同月四日製造分一箱、その他同月一日、三日、五日、六日、七日製造分各一箱を、同月二〇日に同月四日製造分二五箱につきそれぞれサルモネラ菌検出検査を行なつたが、六月一〇日実施分については菌は検出されず、六月二〇日分については、どのような検査を行ない、どのような結果であつたかは証拠上判然としないが、前掲証拠を総合すれば、菌は検出されなかつたものと推認するに難くない。又、右日本冷蔵に入庫された一〇〇組は、岩手県水沢市、福島県郡山市などに出荷されたが、そのさつまあげから食中毒が発生したという証拠もない。

(三)  以上の事実関係から昼休み時間に汚染されたというさつまあげが果してダンボール箱に詰められる可能性があるか、又いかなる汚染経路をたどればダンボールに詰められる可能性があるかにつき検討する。

前記のごとく午後一時より二時の間に木箱約六〇組(約一二、〇〇〇枚)が処理された後にダンボール箱詰となるのであつて、昼休み時間ベルトコンベアーや放冷機上に一二、〇〇〇枚以上載つていれば、直接汚染されたさつまあげがダンボール箱に詰められる可能性があることになる。載つていたさつまあげの数につき検察官は一万数千枚である旨釈明しているが、そのような証拠は全くない。ただ計数上、一分間一九〇枚ないし二〇〇枚の割合で、間断なくコンベアーおよび放冷機に送り込まれ、選別台に運ばれるまでの所要時間一時間二〇分の数量は合計一五、二〇〇枚ないし一六、〇〇〇枚であり、この数は載る可性があるが、現実にその量が一二〇〇〇枚を超えるかどうかについては全く不明であり、昼休み時間中に放冷機、コンベアー上に載つていたさつまあげが直接ダンボール箱に入りうるかは判然としない。ところで、被告人方の油作業は通常午前六時四〇分ころに開始され(昭和四三年六月四日に、何時から作業開始をしたかについては定かでないが、前記のごとく八三、〇〇〇枚を超える量を製造するためには、包装が午後四時三〇分ころ終了している関係上、午前六時四〇分ころより開始しなければ不可能である。)るのであり、午前一二時まで、五時間二〇分の間一分間に一九〇枚の油能力を前提にすれば、一時間一一、四〇〇枚の割合で合計六〇、八〇〇枚が製造されうるのであり、一分間に二〇〇枚の油能力を前提とすれば、合計六四、〇〇〇枚が製造され、同日木箱に詰められた数量は三二一組(六四、二〇〇枚)であり、午前中より午後二時まで木箱詰めが行なわわれているのであるから、午前中製造分すなわち昼休み時間にベルトコンベアー、放冷機上に載つているさつまあげはすべて木箱に詰められ、ダンボールに入る余地はほとんどないと思料される。しかし、右の場合、昼休み時間に汚染されたとするさつまあげは、木箱に入ることとなるのであるが、それならば、木箱の中のさつまあげよりサルモネラ菌が検出されてしかるべきである。しかるに、前記のごとく木箱の一部検査ではサルモネラ菌の検出された形跡はまつたくなく、食中毒の発生もないところからして、この点少なからぬ疑問が存するところである。尤も右検査は木箱詰のもの全部ではなくごく一部について行なわれたにすぎず、右検査結果のみで全く菌が付着していなかつたと断定できず、又門間洋の当公判廷における供述によれば、サルモネラ菌は冷蔵(摂氏マイナス三〇度前後)にしても死滅はしないが、増殖はしないのであり、検査において見逃される可能性もあり、菌に汚染されていないと即断できない。右のごとく直接汚染のさつまあげ(但し、前記のごとく選別台において選別がまにあわない場合、一時トロ箱にさつまあげを入れておき、後に手隙きになつたときに包装を行なう場合があり、本件においてもそれが行なわれていれば直接汚染されたさつまあげがダンボール箱に詰められる可能性がないではない。)がダンボールに入る可能性が薄い場合に、いかなる経路で汚染さつまあげがダンボール箱に入るであろうか。この点につき検察官は、汚染されたコンベアー上を通ることにより、又汚染されたさつまあげを手で選別するため手が汚染され、汚染されていないさつまあげが汚染し、そのさつまあげがダンボール箱に詰められる旨主張する。なるほど、証人永沼清久に対する当裁判所の尋問調書および同門間洋の当公判廷における供述によれば、検察官の主張のごとく、汚染されたコンベアーから、又は手指から間接的に汚染されうる可能性は認められるのであり、本件は間接汚染によりさつまあげに付着した菌が運送途中で増殖し、一、〇〇〇万個以上となり(前掲尋問調書によれば、一、〇〇〇万個以上の菌がなければ発病しないことが認められる。)発病したものと一応考えうるところであるが、いまだもつて確定的なものとはいえないので、さらに他にサルモネラ菌が付着する合理的な蓋然性がないかどうかにつき判断する。

五製品包装材および運送経路、被害者宅における汚染の可能性

本件各証拠によつても包装に使用したポリエチレン製袋やダンボール箱、ダンボール内に敷く粉袋の紙が汚染されていたと認めうる証拠はなく、運送経路においては、何回も積み降ろし、保管を繰り返し、各小売業者、行商人、被害者は各様の保管方法をとつているが、右機会における汚染であると認めうる証拠はない。又、本件は多方面に亘つて一斉に食中毒が発生したのであるが、その発生が各運送経路や被害者宅でそれぞれいずれも保管状態に欠陥があり汚染されたためであることも認め難いところである。ただ〈証拠〉によれば、昭和四三年六月四日に油されたさつまあげを被告人方の作業員らが試食したが、同月九日に右従業員全員につき検便した結果全員につきいずれも菌は検出されず、食中毒の発生もなかつたことが認められるが、右証人の供述および証人永沼清久に対する当裁判所の尋問調書によれば、サルモネラ菌は、一、〇〇〇万個以上なければ発病しないことが認められるので、仮りに被告人方の従業員が右のように、試食したとしても、それは製造された当日のことであつて、菌が付着して間もなく、右の量に達していなかつたものと考えられ、又検査までに五日間あり、その間に少量の菌であれば体外へ排泄される可能性も強いので、右事実をもつて直ちに工場内のさつまあげには菌は付着せず、工場より搬出後に付着したとすることはできない。

従つて、包装段階以後の汚染の可能性はないものと思料される。

六油によりサルモネラ菌は完全に死滅するかどうかにつき検察官は、サルモネラ菌は油により死滅するとの前提に立ち油後の汚染を主張するが、油前に原材料が菌に汚染され、その菌が死滅せず生き残る可能性があるかどうかにつき判断する。

1(一)  油釜の構造等

〈証拠〉によれば、以下の各事実を認めることができる。

(イ) 被告人方の油釜は、生釜と仕上釜に分れ、生釜は全長4.456メートル、幅六四センチメートルであり、深さは15.4センチメートルで、底部より4.4センチメートルの部分に金網がはられ、中央部より後部に高さ18.5センチメートルの三枚羽根四個がとりつけられており、仕上釜は生釜に接続して設けられ、長さ4.4メートル、幅67.5センチメートル、深さは21ないし12.5センチメートルであり、その全長にわたり合計一二個の三枚送り羽根がついておりその羽根の最下部と釜の最下部との間は6.5ないし5.5センチメートルの空間が存する。さつまあげは形成機より生釜に入り金網に載つて運ばれ仕上釜に入り、送り羽根により順次進んでゆくのである。生釜は摂氏一四〇度ないし一五〇度で、一分二五秒間位油し、原材料を煮る役目を担い、仕上釜は摂氏一七〇度ないし一八〇度で一分三五秒間位油し若干生煮えのものを煮る機能も果すが製品に着色するのを主たる役目とする。生釜の温度が摂氏一四〇度以下に降つた場合にさつまあげは完全に煮沸されない可能性があり、摂氏一三〇度付近では煮沸が不完全であつても、仕上釜では浮上し、送り羽根により移動進行しうるが、一一〇度ないし一三〇度の間では浮上するものとしないものが生じ、一一〇度以下ではほとんどさつまあげが浮上せず送り羽根に載らないため、仕入釜入口付近に沈降してしまい、正常に移動しないと一般的にいいうる。(但し廣田望の昭和四五年一月三〇日付鑑定書によれば、被告人方の油方法と同様にして実験した結果、生釜が摂氏九〇度の場合、生釜では浮上しないが、仕上釜が摂氏一八〇度であれば、あるものは直ちに浮上し、残りも三〇秒後には浮上するという結果が得られ、生釜が摂氏一一〇度、仕上釜が摂氏一八〇度の場合には、さつまあげは仕上釜では全て直ちに浮上しており、前記標準は絶対のものではない。)

(ロ) 釜の温度が降下する原因は、釜にそれぞれ二基取付けられている重油バーナーに異常をきたして火力が弱くなる場合、生釜に原材料を入れた場合(摂氏一五〇度の生釜に一分間一九〇枚の割合でさつまあげを入れた場合、一〇分後には摂氏一二〇度となる)、生釜に油を給油した場合(摂氏一五〇度の生釜に摂氏二〇度の油三六リットルを入れた場合二分後に摂氏一二七度となる)、温度計が故障した場合、油担当者が釜を離れてバーナーの操作を怠つた場合等がある。

(ハ) 右事実を総合すれば、生釜では金網により移動するため、生煮えで浮上しなくとも仕上釜に入るが仕上釜では送り羽根で送るため浮上しないものは入口付近等に沈澱してしまうため、商品にはしえず、例えその後浮上したとしても色が濃くなりすぎて商品とはしえないものとなる可能性が強いので、本件においては温度は低く完全煮沸されなかつたが浮上して製品として送り出される場合を対象とする。右のごとく不完全な煮沸が起るのはいずれも生釜の温度いかんによるものであり、生釜に右(ロ)のごとき原因が存したかが重要な点であり、この点に原因が存すれば、外見上は完全なものであつても内部が不完全煮沸さつまあげが製品として送り出されるからである。

(二)  昭和四三年六月四日油釜の温度が低下した事実が存するか

本件各証拠によつても、前記(一)の(ロ)で掲げたごとき原因は、釜の担当者が持場を離れたことによる場合以外の原因が存したと認めうる証拠はない。(但し奥田博の司法警察員に対する各供述調書によれば、本件当時仕上釜の温度計が故障していたことが窺われるが、仕上釜の温度自体は前記のごとく直接影響はしないので原因とはなりえない。)被告人、奥田博、斎藤しめ子、早坂よし子の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、被告人方の油釜の係は昭和四三年二月まで工場長の阿部善信が行なつていたが、同人が病気となつたためその後従業員伊藤操に引継がれ、被告人の指導のもとに行なわれていた。同人はいんあ者であるためバーナーの音の変化が聞きとれないので、釜の近くで仕事をしている他の従業員にバーナーの異常を注意するよう特に指示していたこと、又伊藤操が担当するようになつてからバーナーの火が消えていたことに気付かず他の従業員より注意されたことがあり、又同人はしばしば釜から離れるので他の従業員より注意されたことが何度があり、又同人の担当になつてから不完全なさつまあげ(いわゆるはねもの)が多くなつていたこと等の事実が認められ、生釜の温度が降下する機会がしばしば存したと推認しうるところ、昭和四三年六月四日に生釜の温度が低下する原因が存したかどうかについて考察する。本件各証拠上判然とそれを認めうる証拠は存しないが、辺見美穂の検察官に対する供述調書中で、同人は今までにパーナーの調子が悪くなつたことが二、三度あつたことを認めた後、同調書中で検察官の「宍戸享さんの話によれば昨年六月四日の日形成機の係をしていた女の人から釜の温度が下つているという事を教えられたという事ですが記憶ありませんか」との問に対し、答として「古い事なので昨年六月四日の日宍戸さんにそのような事を教えてやつた事があつたかどうか覚えていません。バーナーの調子が悪いのに気付き伊藤さんに注意しようとしたところ伊藤さんが居なかつたので宍戸さんに話してバーナーの調子を直して貰つた記憶はありますが、それが昨年六月四日の日の事だつたかどうかまつたく覚えていません。」と述べているところ、右辺見は六月四日当日形成機を担当していて釜にもつとも近い位置にあり、伊藤操を補助する役目を与えられていたのであつて、右のごとき事態を目撃する機会も多く、右供述は信用するに足るものであるが、右の事実のあつたのが本件六月四日のことであつたか否かは、ことに宍戸享の供述調書が存在しないので明らかではない。しかし、検察官が右のごとく辺見から聞いたとする者の名前をあげて具体的に発問していることからすれば、検察官の手許にこの点に関する客観的な証拠があつたうえの発問と思料され、右問の部分記載の事実が存したことを窺わしめるに十分である。なおこの点に関しては、被告人の司法警察員に対する昭和四三年九月一七日付供述調書中にも取調官から同趣旨の発問があることからしても首肯するに足りる。

(三)  油によりサルモネラ菌は死滅するか

(イ) サルモネラ菌の耐熱性について

〈証拠〉によれば、サルモネラ菌は、摂氏八〇度の熱により数分間で死滅する旨述べ、証人永沼清久に対する当裁判所の尋問調書によれば、同証人は、摂氏六〇度で一五分から三〇分で死滅する旨述べ、白取剛彦作成の鑑定書によれば、サルモネラ菌一〇の五乗分の耐熱実験した結果、摂氏六〇度で加熱したところ、菌数は序々に減り、四分間処理すると菌は死滅するという実験結果がでており、又岩手県衛生研究所長作成の昭和四三年七月三日付捜査関係事項照会書の提出についてと題する書面によれば、岩手県衛生研究所でサルモネラ菌の耐熱実験したところ、菌の付着したさつまあげを約一五グラムの小片にして沸騰水(摂氏一〇〇度)に入れたところ約二分間で菌は完全に死滅したが、他方ザルモネラ菌を培養した培地に沸騰水(摂氏一〇〇度)を注ぐ実験を行なつたところ、四回注いでも菌は生存していた実験結果が得られたことが認められ、各人各様の見解と実験データーが存し、具体的に何度で何分間熱すれば菌が死滅するかを知りえないところである。ところで食品衛生法第七条第一項、第一〇条に基づく昭和三四年一二月二八日厚生省告示第三七〇号食品添加物等の規格基準第一食品D各条、魚肉ねり製品2(6)において「……その他でん粉を加えている魚肉ねり製品にあつては、中心部の温度を七五度以上に保つて加熱殺菌する方法で、その他のでん粉を加えていない魚肉ねり製品にあつては、これと同等の殺菌効果を有する方法で殺菌しなければならない。……」と定められており、右規定と前記実験結果によれば、大体摂氏七五度で二分ないし四分間熱すれば菌が死滅する可能性が強く、それより低い温度ではより長い時間熱することによつて死滅すると考えられる。

ところで、被告人方の油は生釜が一分二五秒前後、仕上釜が一分三五秒前後、通じて三分前後であるが、右のごとく大概の大ざつぱな基準によれば、さつまあげの中心部の温度が摂氏七五度以上でなければ菌が生存する可能性があると考えうるところである。

(ロ) 白取剛彦作成の鑑定書について

右鑑定は、本件被害者から検出されたサルモネラ菌を培養した菌をさつまあげ原料のすり身一g当り一〇の五乗になるようにねり込み、さつまあげの厚さを一二ないし一五ミリメートルとし、第一実験では生釜を摂氏九〇ないし一三〇度(九〇度、一〇〇度、一一〇度、一三〇度)で一分二五秒、仕上釜を摂氏一六〇度又は一八〇度で一分三五秒熱し、第二実験では温度は第一実験と同様にして、生釜を一分一〇秒、仕上釜一分五〇秒熱して実験を行なつた。その結果、視診で生煮えと判断された例が通じて六例(生釜の温度は摂氏九〇度および一〇〇度の場合)あり、前記食品衛生法上定められている摂氏七五度以下の例が第一実験では、三二例中二五例、第二実験では三二例中二二例であり、前者においては最低が摂氏62.1度、後者においては63.9度という低温であつた。これら実験によつて油した後サルモネラ菌の検出を行なつたところ、すべての製品から菌は検出されなかつたという結果を得た旨の鑑定である。右鑑定は実験自体又、その結果につききわめて信用性の高いものと思料されるが、右菌の検出については、さつまあげの中央部約一〇グラムを乳剤とした検体中の一gにつき検査を行なつた結果菌が検出されなかつたというのが正確であり、サルモネラ菌がさつまあげのすべての部分において完全に死滅したと評価はしえず、鑑定人自身も極めて少量ではあるが生残する可能性も承認しているのである。又右実験ではサルモネラ菌の濃度を一グラム当り一〇の五乗にした場合に得られた実験値であつて、右以上に濃く汚染されていた場合に妥当するかどうかは疑問である。又鑑定書一八枚目裏の部分に「鑑定人のサルモネラ菌ねり込みすり身を用いてのさつま揚げ製品からの菌検出も中心最高温度が七三度以下であることから……」という記載があり、同鑑定人の本件とは別の実験中、中心温度が七三度以下の場合サルモネラ菌を検出した実験例も存したのではないかと推察され、本件鑑定の設定の各条件によれば中止温度が七三度以下の例が前記のごとく多数存するのであるから、サルモネラ菌が生残する余地は十分存するというべきである。以上の点から右鑑定は、その設定条件においても、サルモネラ菌が一〇〇パーセント死滅するという結論を得たものでもなく、設定条件が異なる場合には妥当しない結論であり、本件さつまあげ製造が、右設定条件と全く同一条件で製造されたという証拠もないのであつて、右鑑定をもつて直に被告人方で製造されたさつまあげが油されることによりすべて菌が完全に死滅するとまで確実に認めることはできないものと思料される。

2以上1(一)ないし(三)で述べたごとく、被告人方において、昭和四三年六月四日、釜の温度が下つた事実が存したのではないかという疑が濃厚であり、又温度が降下することによつて不完全にしか煮沸されないことがあり、その場合仕上釜を通過し外見上完全な製品として出荷され、原材料に付着したサルモネラ菌が生残る可能性も存するといわざるを得ない。従つて検察官の本件さつまあげはすべて油後の汚染である旨の主張は疑問の余地がないわけではない。そこで次に原材料にサルモネラ菌が付着したといいうるかどうかにつき検討することとする。

七さつまあげの原料汚染の可能性につき

1  助宗鱈以外の原材料の汚染につき

被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、さつまあげ製造に必要な原材料は主原料である魚を除き、澱粉、小麦粉、玉葱又は葱、人参、着色剤グルコース、甘味剤、調味料、ゴマ、塩、更に練臼で材料を練る場合製品の温度を下げるため使用する角氷、原魚を冷しておく氷、油用の食用油等あることが認められるが、右仕入先各関係者の供述調書によれば、右材料がサルモネラ菌に汚染されうる機会はほとんどなかつたこと、又右各関係者は被告人方に納入したものと同種の原材料を他の業者等に販売しているが、右業者の製品から食中毒の発生した形跡は全く認められないので魚を除いた原材料が汚染されていたものとはいえない。

2  助宗鱈の汚染につき

(一)  〈証拠〉によれば以下の事実を認めることができる。

被告人方では、さつまあげの原魚に助宗鱈を使用し、昭和四三年六月二日は休業し、同月三日は斎和商店(和田元七方)より一〇トン二〇〇キログラム(午前六時から八時ころまでに被告人方に納入)、商店(鈴木喜助方)より三トン一七〇キログラム(午前七時から九時までの間に納入)、庄司商店(庄司二郎方)より三トン二七〇キログラム(午前一一時三〇分ころ納入)合計一六トン六四〇キログラム仕入れ、同日は木箱二八二組(五六、四〇〇枚)とダンボール箱八四箱(二〇、一六〇枚)分、合計七六、五六〇枚を製造し、その製造に約九トン六四〇キログラムを使用し、約七トンの魚は、工場内のコンクリートのうえに氷と魚を交互に積み重ね、その上からシートをかぶせておいて翌日にもちこし、六月四日に使用した。六月四日も斎和商店より一〇トン一〇〇キログラム(同日午前六時から八時ころまでの間に被告人方に納入される。)、庄司商店より三トン二五〇キログラム(同日午後零時ころ納入される)を仕入れ同日分の製造に使用している。六月三日仕入分中、斎和商店分の魚の鮮度は普通、庄司商店仕入分は鮮度良好であつたが、商店より仕入れた鱈は同年五月二八日に北海道釧路港に水揚げされ釧路の渋谷商店の工場で無頭処理をしたうえ同月二九日貨車で発送され、六月二日に塩釜に到着したものであり、鮮度は若干悪く商店においても普段より値引きをして被告人方に販売している。商店は六月三日に右渋谷商店より仕入れた鱈を下山商店に二トン六〇キログラム渡部商店に二トン一一〇キログラムをそれぞれ販売したが、下山商店でも鮮度は落ちていると判断したが、加工に耐えうるものとして使用し、同店の製品より食中毒等は発生しなかつた。他方、下山商店主下山宗治の昭和四三年七月三一日付司法警察員に対する供述調書によれば、渡部商店では右仕入れにかかる鱈が腐敗し全部肥料として売却したことが窺われるのである。なお被告人方では仕入れた魚は仕入先ごとに区分し、原料置場のコンクリート床上に直接積み重ねられ、仕入魚の鮮度に良悪のある場合には双方を混ぜて使用し、又前日の残りがある場合には翌日優先的に使用する取扱いを行なつている。

(二)  右のごとく被告人が六月三日仕入れたのと同じ商店から仕入れた分については、魚が腐敗して全く使用不能になつたのではないかと窺われる点もあるのである。渡部商店の関係者の供述がないため、その経過は定かではないが、少くとも腐敗に近かつたものではないかとの強い疑いが残り、右腐敗寸前の魚には当然細菌が付着していたであろうことが推察され、そして同一の仕入先より被告人方には仕入れられた魚も同様に細菌により汚染されていたのではないかと推測されるところである。この点につき検察官はサルモネラ菌は腐敗菌とは異る旨主張するが、確かにサルモネラ菌が腐敗菌と異るとしても魚は鮮度が落ち菌の繁殖しやすい条件下にあつたものと考えられ、又サルモネラ菌の付着が全くなかつたと断ずることはできず、サルモネラ菌が付着していた疑は残るものと思料される。

(三)  六月三日商店より仕入れた魚にサルモネラ菌が付着していたとの疑いが残るとしても、それが材料として六月四日製造分のさつまあげに混入する可能性があるかどうかを考察しなければならない。被告人の昭和四三年九月一〇日付(八枚綴りのもの)司法警察員に対する供述調書によれば、斎和商店分と庄司商店分の一部が六月四日に繰越された可能性がある旨述べているが、右は仕入量と仕入時間からのみ判断したものに過ぎず、全くの推測でしかない。庄司商店分が翌日に残つたであろうことはその仕入時間がかなり遅いことから推察しうるが、他の魚については、最初に斎和商店より仕入れられ、その後に商店分が仕入れられている時間的先後関係、魚の保管は仕入先ごとに分けて別々にしておくこと等から、六月三日に製造に使用した分は、前者仕入分一〇トン二〇〇キログラム中、九トン六四〇キログラムであると考えることにも合理性があり、又前記のごとく鮮度の異る魚が存した場合、双方を混ぜるようにして使用するようにしていることから、六月三日には斎和商店仕入分と商店仕入分とを混ぜて使用したとも考えられ、商店仕入分を六月三日にすべて使用してしまつたと断ずることはできない。六月四日に商店仕入魚が残つたとして、前日仕入分は優先的に使用するようにしており、六月四日仕入分の到着は遅くなることから、六月三日繰越分より使用するであろうことは推察に難くない。六月三日は前記のとおり、約七六、五六〇枚のさつまあげの製造に九トン六四〇キログラムの魚を要しているのであり、六月四日午前中には前記のごとく、約六〇、八〇〇枚ないし六四、〇〇〇枚が製造されうる可能性があり、右の製造のためには約八トンの魚が必要で、六月三日仕入分で六月四日に繰越された約七トンの魚は午前中にすべて使用してしまうことになる。そうすると、前記のごとく、本件においては、午前中に油し、昼休時間に放冷機上に存したさつまあげは、ほとんど木箱に詰められる可能性が強く、商店仕入魚を使用して製造したさつまあげは、ダンボール箱に入ることなく木箱に入る可能性が強く、ダンボール箱より食中毒が発生するはずがないとも考えられるが、しかし、仮に商店より仕入れた魚がサルモネラ菌に汚染されているとすれば、その魚肉を入れた機械や肉箱が汚染され、その後に使用される魚肉に付着しうる可能性は大であり、又、商店仕入分を六月三日又は六月四日の午前中に使用してしまつたとの仮定に立つても、汚染された魚よりコンクリート床が汚染され、そのうえに魚を置くことにより、又六月三日に機械や肉箱が汚染され翌日その機械を魚肉が通ることによつて汚染されうる可能性は十分にあり、いずれの場合といえども汚染の可能性は認めうるところで、右の可能性は、前記のごとく、現に魚肉箱のバット内の拭取検査の結果サルモネラ菌が検出された事実により裏付けられたものというべきである。そして右のようにしてその後の魚がサルモネラ菌に汚染されたとすれば、その菌がダンボール箱内に詰められたさつまあげに混入する可能性がないとはいえない。

以上のごとく、本件においては被告人方に納入される以前にサルモネラ菌がさつまあげの原料である魚に付着汚染されており、その結果さつまあげにサルモネラ菌が混入したとの疑いを全く否定し去ることはできないのである。

八原料汚染の可能性を窺わせる他の事実およびその評価

1被告人方の検査の結果、魚肉入れバット一個および捕獲した鼠一匹からそれぞれサルモネラ菌が検出されたが、他の検体からは発見されなかつたことは前記認定のごとくである。捕獲した鼠一匹の身体からサルモネラ菌の検出があつたことは被告人方に棲息している鼠がサルモネラ菌を保有していたとの証左であるが、考えようによつては、従来体内に菌を保有していなかつた被告人方に棲息する鼠が汚染されたさつまあげを食べたため、これによつて初めて感染し、サルモネラ菌を保有するに至つたとも考えうる余地がないでもない。又魚肉入バットからのサルモネラ菌の発見は拭き取り検査によつたものであり、佐藤春雄の司法警察員の昭和四三年八月二〇日付供述調書によればかかる検査で菌が検出されるということは、その容器自体が相当に汚染されていなければならない旨述べており、右供述から被告人方の魚肉バットはサルモネラ菌によりかなり濃度に汚染されていたことを推測しうるのであり、このバットに入れられていた原料の汚染を推認させるのである。

次に被告人方に徘徊棲息している鼠がサルモネラ菌を保有し、昭和四三年六月四日油後のさつまあげの上に鼠が徘徊し糞尿をしたとするならば、油釜以後の行程の機械の拭き取り検査や糞の検査等多くの個所でサルモネラ菌が発見されて然るべきである。しかるに前記のように六月一五日に捕獲された鼠一匹からと魚肉バットからのみサルモネラ菌が検出されたのに止まり他の検体からサルモネラ菌が検出されなかつたのである。この点につき検察官は菌はさつまあげにぬぐいとられてしまつて検出されなかつた旨主張する。

確かに右のごときことはあると思料されるが、被告人方では六月五日以後も前記同様の過程でさつまあげの製造を行ない、昼休み時間には機械を止めて人は一人もいなくなるのであり、鼠は習慣的に、その後も徘徊すると考えるのが常識であり、徘徊している鼠がサルモネラ菌を保有しているとすれば、六月五日以降にも糞尿をして機械等を汚染していると考えられるのであり、製造を中止した六月八日および翌九日に行なわれた拭き取り検査又は糞の検査において菌が検出されるのが当然である。右のごとく菌が検出されなかつた事実は、油後の汚染の事実を動揺させるとともに原料汚染を疑わしめうる事実となるのである。

2被告人方工場で本件六月四日以外の前後の日に製造されたさつまあげにつき、食中毒が発生しまたはサルモネラ菌が付着していたとする形跡は本件各証拠からして認めることができない。しかし前記のごとく、仮りに被告人方に徘徊棲息している鼠がサルモネラ菌を保有していたとするならば、六月四日以外の日特に同日以降も六月四日の場合と全く同じ工場で、同じ製造過程の下にさつまあげを製造していたのであるから、そのさつまあげにも菌が付着しうることは十分考えられうることである。そして油後のさつまあげに菌が付着したとすれば、その後は煮沸する以外に菌が死滅せず、生のままさつまあげを食べる人もいることとし食中毒の発生する確率は極めて高いというべきである。しかるに食中毒の発生がなかつたということは、鼠が菌を保有していて、検察官主張する油後に汚染されたという事実に合理的な疑いを抱かせるものである。

このように六月四日製造分以外のさつまあげから食中毒が出なかつたという事実につき、油後に汚染されたとするよりも、むしろ原料が汚染されていたと考えた方が、比較的無理なく説明しうるのではなかろうか。

3食中毒発生枚数との関係における疑問

(一)  検察官は、本件において食中毒が発生したのは、ダンボール箱五七箱(一三、六八〇枚)である旨主張する。前記三において説示したように、因果関係に疑いのあるものも一応含めて、食中毒を現実に発生させたさつまあげの枚数は、本件起訴にかかる分としては、四五一枚のみであり、本件各証拠によれば、起訴はされなかつたが現に食中毒が発生していると窺われる分を考慮しても、せいぜい五〇〇枚から五五〇枚前後であると思われる。前記のごとくさつまあげの油処理能力は一分間一九〇枚ないし二〇〇枚であるから、右汚染されたさつまあげの枚数を製造するには約三分間で可能である。検察官は一三、六八〇枚もの多くのさつまあげが低温の釜に入れられるためには、長時間低温の状況が続くことになり、そのような長時間にわたることは通常考えられない旨主張し、原料汚染説を否定するが、検察官の主張の前提からすれば、確かにその通りではあるが、右のごとく三分間低温の時間が存すれば本件の発生は可能であり、又釜の係が職場を離れるのも長時間にわたるものではなく、三分間というのは大いにありうべきことであつて信用しうるに足るものである。右のごとく食中毒が発生したさつまあげの枚数自体、原料汚染によつて発生可能な又合理的な枚数ということができるのである。

なお、本件は多方面に亘つて食中毒が発生しているのであつて、右汚染された数百枚のさつまあげがそのように多方面に分散する可能性について若干疑いがないわけではないが、大河原けさよの司法警察員に対する桜井由美子、桜井香代子、後藤ちえの司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、さつまあげの選別は選別台において、桜井香代子と後藤ちえが、一〇枚ずつそろえて置き、それを大河原けさよ、桜井由美子が木箱やポリエチレン袋にいれる仕事に従事していることが認められるのであり、このように選別が二人によつてなされるのであれば、同時に選別台に運ばれたさつまあげであつても別々の袋にいれられる可能性は強く、ひいては別々のダンボール箱に入れられることになるのである。又前記認定のとおり、選別台において選別が間に合わない場合には、一時トロ箱と称する箱の中にさつまあげを入れておき、手がすいた時点で箱の中に取り分けて置いた右さつまあげを取出して選別することにしているのであり、汚染されたさつまあげが一旦トロ箱に入れられることにより、時間を異にし、別個の袋や箱に納められることは多多ありうることである。本件においては油能力が一時間当り前記のとおり一一、四〇〇枚ないし一二、〇〇〇枚であるが、ダンボール詰めは一時間に約四〇箱(約九、六〇〇枚)であつて、油能力の方が包装能力をはるかに上廻るのであるから、木箱詰めに比べ当然選別が追いつかなくなることが多いと思料されるのである。以上のごとく汚染されたさつまあげが各袋、箱に分散されたことは、きわめて自然であり、その可能性もきわめて高いものといわなければならない。

(二)  同一のポリエチレン袋に入つていたさつまあげで食中毒の発生したものとしないものとがあることの疑問について

前記三の2に掲げた各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。丸一魚類株式会社仕入分について、行商人武田カツは米沢治郎吉方において同じポリエチレン袋に入つているさつまあげ一〇枚を仕入れ、その全部を売つたが、そのうちの七枚から食中毒が発生したのみで、他の三枚からは食中毒が発生した形跡は見当らない。北上水産株式会社仕入分についても、右同様、高橋参次郎は五枚、一〇枚、二〇枚、二枚、三枚と販売しているが、二〇枚分については袋に入つた二〇枚分を渡すので問題はないが、二〇枚に充たない五枚、二枚、三枚分については、それが例え同一袋から売られたとしても、残り一〇枚から中毒が発生したとする証拠はない。日詰水産物商業協同組合仕入分についても、吉崎啓三は、一袋を仕入れ、そのうち販売した五枚より中毒が発生したが他から発生した形跡は見当らない。仙都魚類株式会社仕入分中、瀬戸弘は三袋を仕入れ全部販売したうち二枚より食中毒が発生、他は発生した証拠がなく、高橋源六が仕入れた八袋中、五枚から中毒が発生したが、他は発生した証拠がなく、石田庄松が仕入れた三袋中、五枚から中毒が発生し、その他について中毒は発生しなかつた。有限会社丸大魚市場仕入分について、斎藤喜三郎が仕入れた三袋中、五枚は本件被害者を出し、一〇枚は本件起訴外の狩野勇一方で中毒を発生させているが、他のさつまあげについては中毒は発生していない。右のごとく同じポリエチレン製袋に入つていたと思料されるさつまあげ中、あるものは食中毒が発生し、あるものについては発生しないという事態も見逃がすことはできない。検察官は、本件において油後、機械や手による表面接触を主張しており、その可能性のあることは前記のごとくであるが、このような接触が可能であるならば、同一の袋に入れられたさつまあげの一部表面に菌が付着した場合、さつまあげは密着して二〇枚入れられ、穴はあいているとはいえポリエチレン製の袋に入れられ、かつダンボール箱に入れられてかなり空気の流通が悪い状況におかれ、又本件証拠によれば、昭和四三年六月四日ないし六日ころ、本件が発生した各地の最高気温は摂氏二〇度を超え、温度も高かつたごとく窺われ、又証人永沼清久に対する当裁判所の尋問調書によれば、菌の分裂速度は二〇分に一回であり、一昼夜で天文学的数字にまで至ることが認められるのであつて、このような気象条件および菌の増殖速度を考えれば他のさつまあげも当然汚染される可能性が極めて強いのである。しかるに同じ袋の中でも食中毒が発生しなかつたという事実は、さつまあげの表面に菌が付着していたのではなかつたのではないかと窺わせるものがある。もし原料が汚染されたが、その菌が死滅せずにさつまあげの内部に生き残つたという仮説を立てれば、右の現象を比較的無理なく説明しうるのである。すなわち、内部が菌で汚染されている場合、時間とともに増殖はするが、その内部より表面に出るには時間がかかり、相当時間を経なければ袋の中の全部を汚染せず、従つて同一袋内であつても菌の付着したものとそうでないものが生じたと考えうるのである。

このように油後さつまあげの表面に菌が付着したとする検察官の主張には疑いをさしはさむ余地が十分にあるものといわざるを得ない。

九結論

1本件食中毒事件との因果関係

本件の訴因は、被告人方で昭和四三年六月四日製造のさつまあげにサルモネラ菌が付着しており、それを食べた被害者が食中毒に罹つたということであるが、右被害者がいずれも同日製造のさつまあげを食べたかどうかがまず問題になりうるところである。前記三2(二)(2)で述べたごとく、その一部については、果して被害者が、六月四日製造のさつまあげを食べて食中毒に罹つたかどうか証拠上明確ではなく、疑問の生じる余地があるが、そのいずれの場合においても六月四日製造分が被害者に販売される可能性が全くない場合は無く、いずれも観念的、確率的な可能性が存するのであり、また、被告人方で製造されたさつまあげのうち、六月四日分を除くその余の製造分については、細菌検査の結果、サルモネラ菌は検出されておらず、食中毒が発生したという証拠もなく、食中毒の発生は無かつたものと考えざるを得ないのであり、これらの事実を総合して考えれば、前記疑いが残る部分についても、六月四日製造のさつまあげを食べ食中毒に罹つたものと一応考えられるものであり、六月四日製造のさつまあげと食中毒との間の因果関係は一応これを認めうるものと思料される。

2被告人の過失につき

前述したごとく、本件の訴因は、検察官の冒頭陳述および釈明により明らかなとおり、被告人が管理する工場において、昭和四三年六月四日午後零時から一時までの間、ベルトコンベアーまたは放冷機上にサルモネラ菌を身体に保有する鼠を徘徊させて油後のさつまあげにサルモネラ菌を付着させた点を被告人の過失としているのである。そして被告人のこの点の過失については、それを認めうる直接の証拠はないが、前記四で述べたごとく、昼休時間中に汚染したのではないかと一応認めうる点もあり、その汚染したさつまあげがダンボール箱に詰められる可能性も一応肯定しうるところであるが、しかしながら、前記八の1ないし3で述べたごとく、被告人方に徘徊していた鼠がサルモネラ菌を保有し、油後のさつまあげを汚染したとの前提に立つてみると、その前提からは本件事案の解明の合理的説明が困難あるいはできない各事実が存し、これらの事実はむしろ原料段階でサルモネラ菌に汚染されたとの前提に立つた方がより合理的に説明しうるのである。更に前記七で述べたごとく被告人方で仕入れた助宗鱈そのものにサルモネラ菌が付着していたのではないかとの疑いも存し、又、前記六で述べたごとく、昭和四三年六月四日に油釜の温度が低下したのではないかとの疑いもあり、これらの疑問は前記六、七で述べたごとく、原料汚染の可能性を説明しうるものと言うことはできても、本件訴因を合理的に説明するに妨げとなる疑いを残すものと言わなければならない。

以上のごとく、本件においては、被告人に過失が存したのではないかとの疑いもかなり強いのであるが、右疑いには合理的な疑問をさしはさむ余地が存するものと言わなければならない。刑事裁判において有罪とするには確実な事実認定を必要とするものであつて、疑わしきは罰せずとの大原則に従うべきである。

よつて本件公訴事実はこれを認めるに足る証拠が十分でなく、犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(杉本正雄 佐々木一雄 山崎潮)

別表(一)〈省略〉

別表 (二)

数量単位、いずれも袋

商店名

6.4製造仕入月日

月日

前日残

当日入荷

販売

当日残

備考

北上水産

6.5

6.5

一二〇

一二〇

丸大魚市場

6.4

6.4

三六

三六

いずれも当日分は夜遅く入荷するので、翌朝販売、

従って六月四日入荷分は、六月五日全部販売

6.5

三六

三六

三六

三六

6.6

三六

三六

三六

三六

岩ヶ崎魚市場

6.4

6.3

四八

四八

前同

6.4

四八

二四

四八

二四

6.5

二四

九六

二四

九六

仙都魚類KK

6.5

6.4

三六

二四〇

二七六

6.5

三六〇

三二四

三六

6.6

三六

二四〇

二七六

KK大新

6.5

6.4

一〇

三六

四六

6.5

六〇

三一

二九

6.6

二九

一九

一〇

6.7

一〇

二四

三四

丸一魚類KK

6.5

6.4

一二〇

四八

七二

6.5

七二

一二〇

一二〇

七二

6.6

七二

四八

二四

6.7

二四

六〇

四八

三六

6.8

三六

九六

一三二

日詰水産

6.5

6.4

二四

一〇

一四

6.5

一四

二四

三五

6.6

三五

一四

三一

大和水産

6.5

6.3

一二〇

一二〇

伝票による売販量は一一七なるも伝票の誤り、紛失分 三

6.4

一二〇

一〇八

一二

伝票による販売量は一一〇なるも伝票に二袋分余計記入

6.5

一二

一二〇

一一四

一八

伝票による販売量は一〇八なるも伝票の誤り、紛失分 六

6.6

一八

一二〇

八七

五一

伝票による販売量は七八なるも伝票の誤り、紛失分 九

6.7

五一

六〇

九九

一二

伝票による販売量は九七なるも伝票の誤り、紛失分 二

みつわ水産

6.5

6.3

八四

五二

三二

6.4

三二

四八

五八

四二

6.5

四二

七二

六四

五〇

6.6

五〇

一〇八

三五

一二三

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